眼鏡が劣等感の根源でした
私は子供のころんにあまり物がはっきりと見えていませんでした。小学校に入ったときに、学校の健康診断で視力が片目だけ0.6しかなかったのでした。
そのころの記録を後から見て分かったのでした。そのころは学校の黒板の字がよく見えていませんでした。でも6歳の私にはそれが当たり前だと思っていたのです。黒板の字が見えていなかったので、成績も凄く悪かったです。でも親も先生も「できの悪い子供」だと思っていたようでした。私には黒板の字が見えないと先生には言うことが出来ませんでした。
それから成績が本当に悪くて、小学校3年生になったころにやっと親に「黒板の字が見えてないから困る」と言うことができたのです。親にめがねをつくってもらって学校にかけていくようになりました。そのときから勉強もできるようになっていきました。そのころはめがねをかけてるクラスメイトはいませんでした。
私は当時、太っている上にめがねをかけていましたので、男子生徒に嫌われていました。めがねをかけているということに凄く劣等感を感じていました。自分の母親も太っていましたので、きっと遺伝したんだなと思っていました。私は母親に対していつも自分を重ねていました。でも母親は視力がよかったです。父親はめがねをかけていましたので父親に似たのだと子供ながらに思っていました。
中学生になってから、身長が伸びてすっかり細くなった私は自分のことが好きになっていきました。学校でも好きな男子が居ましたが、彼は「めがねをかけてても君は君で変わらないじゃん」と言われて嬉しかったです。
でも高校生になってもめがねをかけていた私は凄く悲観的な性格でした。高校を卒業して大手の化学メーカーの本社の経理の仕事が決まったときにコンタクトレンズにしてメイクをした私はすっかり別人の顔になっていました。目が大きいのできれいな顔立ちだと言われるようになったのです。
めがねのころの悲観的な自分はもういませんでした。コンタクトレンズにすることで、私は男性にもてるようになりました。現在でもコンタクトレンズ派です。めがねはレンズが厚いのでかなり顔の印象が変わってしまうので、コンタクトレンズは必需品です。
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